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福島家庭裁判所 昭和54年(家)373号 審判

申立人 村田静

相手方 村田宏治

主文

相手方は申立人に対し昭和五四年五月二三日以降、本件別居の継続する間一か月金二万四五五九円の割合による金員を毎月末日限り支払わねばならない。

理由

申立人は、相手方は申立人に対し婚姻費用の分担として毎月金六万円を支払えとの審判を求めた。

昭和五四年(家)第三七三号婚姻費用分担事件における家庭裁判所調査官○○○○作成の調査報告書(二通)、申立人審問調書、昭和五四年(家イ)第三号夫婦関係調整調停申立事件における筆頭者村田宏治の戸籍謄本、家庭裁判所調査官××××作成の調査報告書、昭和五四年(家イ)第七八号第七九号養育料請求調停申立事件における同調停申立書、同取下書の各記載によれば「一」の事実関係が認められる。

一1  申立人は、昭和四八年三月八日相手方と結婚し、同年同月二〇日その届出を了し、相手方とともに相手方の両親、妹と同居し、ともに両親の経営する○○○店の手伝いをしていた。そのうち、相手方は、昭和四九年一二月頃から申立外鈴木恵子と交際をはじめ、昭和五〇年一一月には恵子の夫から申立人に対し右二人の関係を通報されたこともあつたが、同年一二月二人は手をたずさえてかけおちし所在不明となつた。それで、申立人は、昭和五一年一月長男宏一(昭和四九年三月三〇日生)次男雅宏(昭和五〇年七月二六日生)をつれて肩書地の実家に戻り現在に至つている。

ところで、申立人は、昭和五二年一二月から申立外○○産業株式会社の事務員として働き、右長男次男を保育園に通わせているが、相手方と洋子は、昭和五三年三月頃出奔先の九州から郡山市に現れ、同年六月頃に福島市にまい戻つて同棲し、同市内のキャバレー従業員として働いていた。申立人は、これを知つて同年七月末相手方と会うことができたが、相手方は、今後も申立人と同居する意向はないと言つて申立人に対し離婚を求め、かつ、前記長男次男を引き取り度いというばかりであつた。

そのうち、相手方は、昭和五三年一〇月以降前記同棲先から両親経営の○○○店に通勤し家業の手伝いをしているが、病気勝で欠勤することもしばしばであつた。

2  ところで、申立人は、昭和五四年一月九日相手方との夫婦関係調整の調停を申立て(当庁昭和五四年家イ第三号)、前記二児の将来を考えて離婚を求めることをとりやめ相手方が改心して申立人の許に復帰することを願つていることを表明し、相手方はこれを拒んで離婚することを強要し、結局、申立人は右申立を取下げるに至つた。

また、

(一)  相手方実母村田ミツ子(五六歳)は、夫一郎の意見も代弁して、申立人に対し前記二児を伴つて前記○○○店に戻ることを求め、申立人が相手方と他に家を借り受けて同居しようとすることを肯じなかつた。

(二)  相手方は、申立人と同居することを拒んでいたが、申立人が二児を手離さない場合はその養育料を支払う意向であつた。

3  ついで、申立人は、昭和五四年三月六日相手方に対し前記二児の養育料として一ヶ月各二万円ずつの支払を求める調停を申立て、相手方には申立人と同居して夫婦生活をする気がないので、とにかく右養育料の支払を求めると主張し、相手方は申立人が離婚に応じない限り養育料を支払うことができないと主張し、申立人は同年五月二三日右申立を取下げ、代つて同日本件申立に及んだ。

二  前記認定の事実関係から考えると、申立人が昭和五一年一月前記長男次男を伴つて実家に戻つた原因は、夫たる相手方が申立外鈴木恵子と交際し、かけおちして久しく所在を晦ましていたことによるもので、申立人が実家に戻り相手方と別居するに至つた責任は相手方にあるものと断ぜざるをえない。そして、相手方が福島市内に立ち戻り申立人から恵子との縁を絶つて家庭に復帰することを求められても全然応じようとしないのみか、却つて、申立人に対し離婚を迫り、申立人との同居を拒んでいる事実が申立人を現にひきつづきその実家で別居するの余儀なきに至らしめているものといわざるをえない。相手方の両親が申立人に対し前記二児を伴つて前記フトン店に戻り相手方が居なくとも両親らと同居することを求めた事実はあるが、それが相手方の別居の責任を軽減するものということはできない。

三  そこで、相手方が申立人に対し同人らの婚姻費用として分担すべき額を検討する。

申立人は、別居以来乳幼児をかかえて働くこともできず、実父母の許に同居して相手方からの送金援助を期待できないまま実家の補助で生活し、昭和五二年一二月から漸く○○産業株式会社の事務員として勤め、月々の平均手取額は金七万四六四四円であつた。相手方は、昭和五三年九月から親許の前記○○○店に勤め同月から昭和五四年五月に至るまで月金一〇万円(但し、昭和五四年三月分は金四万円、同年四月分は金九万〇二五二円)の給料を得ており、このうち昭和五三年一二月、翌年一、二月と同年五月には毎月健康保険掛金として金三、九二〇円、厚生年金掛金金四、四五九円を各支払つてそれらの月々には手取額が各金九万一、六二一円であつたので、相手方の昭和五四年五月以降の月平均手取額を、金九万一、六二一円と認める。

そこで生活保護方式による福島市における昭和五四年四月における双方の最低生活費の月額を調べると

(一)  申立人は前記長男次男とともに暮しているので第一類金五一、二五〇円、第二類金一万九、九六〇円、冬期加算分の年間一ヶ月当り金三、一四〇円、住宅手当金一万九、四〇〇円、勤労基礎控除金一万七、二〇〇円であつて、申立人側の最低生活費月額を金一一万〇九五〇円とすることができ、また、相手方が現に恵子と同棲しているかどうか、恵子の収入がいくばくか等明確でないが、相手方が前記平均手取額で独り暮ししているものと見ると第一類金二万四、五〇〇円、第二類金一万五、六八〇円、冬期加算分の年間一ヶ月当り金二、〇三三円、住宅手当金一万九、四〇〇円、勤労基礎控除金一万七、二〇〇円であつて、相手方の最低生種費月額を金七万八、八一三円とすることができる。

(二)  つぎに、申立人、相手方の最低生活費とそれぞれの前記実収入とを比較すると、申立人の収入はその前記最低生活費より少く月々金三万六、三〇六円の不足となり、相手方の収入はその前記最低生活費より多く月々金一万二、八〇三円を上迴ることとなる。

かかる場合、婚姻費用の不足分は申立人相手方でともに折半して分担すべきものである。相手方がその最低生活費を上迴る収入分のみを申立人に分与すれば足り、申立人がその分与分を得るもなおその収入がその最低生活費に及ばない場合は申立人において生活保護費の支給等を求めるべきものとすることは必ずしも公平妥当な措置とは考えられない。

(三)  かかる場合、申立人と相手方における婚姻費用の分担額は、相手方が前記平均月収金中その前記最低生活費を上迴る金一万二、八〇三円を申立人に分与するほか、申立人が右分与金を受けてもなおその前記最低生活費に不足する分金二万三、五〇三円を双方で分担すべきものとして、その二分の一に当る金一万一、七五六円(銭位は切捨てる)がその最低生活費に不足することを甘受して、右金員分を申立人に分与すべきものとすべく、相手方は申立人に対して月々前記金一万二、八〇三円と右金一万一、七五六円の合計金二万四、五五九円を支払わねばならないものとする。

(四)  なお、相手方が申立人に対し支払うべき一ヶ月金二万四、五五九円をいつからいつまで支払うべきかの点であるが、申立人は相手方の右支払分をいつの時点から請求するのかを明かにしていないのみでなく、申立人は右支払を求めるについては必ずしもその金員を問題とするものではないと述べているので、本件においては本件調停を申立てた昭和五四年五月二三日以降の婚姻費用分担金の支払を相手方に命ずるのが相当である。

三  よつて、相手方は、申立人に対し昭和五四年五月二三日以降本件別居の継続する間、一ヶ月金二万四、五五九円の割合の金員を毎月末日限り当月分を支払わねばならないものとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 西岡悌次)

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